自分が本当に挑戦しているのか、わからない。(対アルコール)
酒を連日飲むと、手に湿疹が出るからお酒を控えようと思いつつ、飲んでしまう日が多い。 控えることができない時というは、喉に乾きを覚えていたり、また疲れてアドレナリンを欲しているときであったりする。 (レモン炭酸水はごまかす為に丁度良いことは先日述べた通りである。)
どうもアルコールについて挑戦していないように思える。それは、どうしようもならない問題について神に助けを求めていないという程度においてである。
同様に、果たして、勉強において、仕事において、どうしようもならない問題に挑戦しているだろうか。
私は全てを予測可能に、コントロールできる範囲にして、不明瞭なことやできないことを排除している。(時間通りに動き、日課をこなすことは、自分についてコントロールすることであり、これはかなりの程度効果がある。)
挑戦していないわけではないが、どちらかというと、素早い失敗をしていないのではないだろうか?(もしくは、素早く失敗しすぎて、失敗に気づいていないのか?)
まずはアルコールについて挑戦をし、どうすればいいかについて、神に助けを求める他ない実感を抱かねばならない。悔い改め、神のもとに立ち返るような。
今日の勉強
sml
『Standard ML 入門』
- p. 255
- pp. 257-258
- 問18.26 のnextRefの実装の一部を書く。
- TextIOからExternalIOに変えることになったので、型が不一致しているので、それの修正をしなければならない。
cdk
AWSのサービス構成の絵を描いて、それに従って、CDKに書いていく。CDKの書き方については、公式のドキュメントが丁寧であり、それに従いギャップを埋めていった。
バージョンによって、だいぶ推奨される関数に変化があったりするので、望ましいものを書くためには、手心がいる感じだ。
CDKについては、まだ私は挑戦をしていないと思う。